2012-04-09

自分的今昔総論



アメリカ社会でも若者の車離れが進んでいるとのことです。
その理由として、ネットの普及により他人と会う機会(必要)が減った
もあげられるんだとか。

さて、豊かな社会とはいったいどういうことを示すのでしょうか?

この写真の場所が輝いていた時代は、人々の間に「生きたお金」
が行き交うさぞかし明るい(と思われた)世の中だったんでしょうね。

そして、おそらく今よりもっと、人が人を感じることが出来たのでは
ないかと思います。
たとえその目的が、ただ飲み明かしたり女の子と一緒にいる
だけであっても。

サザエさんを観ていたらあらためてあることを認識しました。

こんなに時代が変わったのに、物語に携帯やPCが出てくる事は
まずないなぁと。

サザエさんは不変。
そんなの当たり前なんですけど、それに癒され相変わらず視聴率が高く
日本国民の支持を得ているその現実に、どうしても現代人の憂いを
感じてしまうのはボクだけではないと思います。


近い将来、サザエさんは豊かな時代を象徴する「日本昔話」の域に
達するのでは。






2012-03-26

だから写真を撮る自分がいるのだと前向きに考えられる由々しき問題



風景(自然ではなく人工物含む街)を楽しむときに、こんな遊びをします。
それは、こいつらはボクが死んだ後も存在しているのか否か。
人生まだ40年程度しか経過してませんので、
たいそうな事は言えませんが、皆が思っているようにボクも思うわけです。

「なんでこんなに世の中の移り変わりは速いんだろう」と。

ここを通ったどれだけ多くの人がこの世を去っているのだろうか。
また、これから誕生してきてここを通り過ぎる人がどれだけいるのだろうか。
たぶんここにはここの独特な時間が流れているのでしょう。
この風景にはそんなおおらかさを感じるわけです。

なかなかうまく表現しづらいですが例えると、ETC割引の早見表みたいな感じ?

自分がいまどこにいてどこに属しどこに適用され、のような。
つまり今まで何に出会いこれから何に出会えるのか、と。
わかりやすい歴史的建造物とかはいいんです。わかりやすいロマンがあるので。

ボクが言いたいのは、普通の事象に関わる自分について。


この問題、非常に説明しづらいです。





2012-03-11

3.11



今日もいつもと同じ麗しき日。

生きてる事にありがとう。

どこかでだれかが笑っていればそれで良いじゃないか。

厳しい現実があるからこそ、そう思わないとやってられない。

未来へ向けて、ちょっとだけでも前に進まなきゃ。

2012-03-06

なぜここに訪れたいかをもう一度考えてみた



上野松坂屋の屋上遊園地。

21世紀になり急激に姿を消しつつある、偉大なる昭和の遺産のひとつです。
ここのところメディア等でささやかな脚光を浴びているので、気になって遊びにくる方は
結構増えているんじゃないかと思います。

それにしてもショッピングや娯楽のあり方がずいぶんと様変わりしましたよね。
ボクより年配の方はもっとそう感じると思いますが。

この衰退する百貨店やシャッター商店街など言わずと知れた現代社会で浮き彫りに
なっている問題は、人々のライフスタイルが大きく変わってきていることの映し鏡であること
ぐらいだれでも想像はつくわけですが、ショッピングといえば百貨店、映画といえば映画館、
のようなわかりやすい思考、選択、行動で喜びを得ていた時代の方がいまより
豊かだったのかもしれないと考えてしまう事もあります。

その「ライフスタイル」が個人主義の要素が強くなり、車社会はますます進展し、
複合している事を当たり前のものと考え、専門的な人(商人など)をあまり必要と
しなくなってきているおかげで、どこにいってもたいして代わり映えのしない郊外の大型
ショッピングセンターを増殖させ、シネコンをつくり、併設もしくは隣接する電器屋や
ホームセンターなどがさらに便乗し、便利でありがたいけどとってもつまらない「街」を
つくってしまっているのではないでしょうか。

もちろん大規模小売店舗法のあり方が大きく関わっているのは
わかりますし、人々が求めている方向の結果であることはよく
理解しているつもりですが、それにしても寂しさを感じてしまいます。

まぁ、かくいうボクも都市に暮らしなにひとつ地域活動をしている
わけではありませんし、実際いまの業態の利用者なので偉そうな事は言えませんが…


だからこそ、せめて「旧き良き時代」の写真をたくさん残しボクなりの共有、協力ができればな
と思っている次第です。


















2012-02-27

そっと営み主張する彼らに気づいてあげなきゃと思う39歳1週間



もともと平面空間を撮るのが好きなのを自覚はしてますが、
このような「間の抜けた」感じの空間がやっぱり好きだなぁって
あらためて思います。

ビルの窓に反射した光があってこそのコレであることは間違いないですが、パイロンたちの
ささやかな主張が心地よくボクに訴えかけてきます。


2節同じような書き方をしましたが、
つまりは、

「そっと営まれている事象を放ってはおけない」

いう事なんだと思います。

そのときにカメラを持っていたことをキセキとせず、普段見過ごしている愛おしい
「営み」に気づいてあげなきゃと急に焦りだすおじさんも先週39歳になりました。


有限事項(有言実行)、心得ないと。









2012-02-23

ピンクのバスが走る風景



旧海岸通りや元なぎさ通りなど、昔の海岸線から埋め立てなどにより海岸線が外へ伸びた
都市部などでよく見る地名があります。
それらはもともとの海岸線はココだったんだよという由来があるわけですが、都市の発達とともに、
漁港や養殖場だったところが埠頭や空港、石油コンビナートなどにかわり、さらなる利便性や発展に
役立っているわけです。

3.11の震災による東北地方の海岸付近の様変わりは、皆が映像などで目にしていると思います。

都市に住んでいると忘れがちですが、海に囲まれた日本のほとんどの海岸ではその「海の幸」によって
生活を守られている事実があります。
それは太古の昔から変わらないであろう、日本人が受ける恵みなんだと思います。
その恵みを与えてくれていた海に、今回は相当な厳しさをもらったわけです。

街の復興策として、市街地を高台に移すことも考えられていると思います。
何十年後かに完全に「低い土地」から人々の生活の営み(漁場を除く)がなくなったときにそこは、
「市街地跡地」とされてしまうのでしょうか?
それともまた正々堂々と立ち向かっていくのでしょうか?

そして、あらためて考えてしまう事は、都市部の海岸線での「自然の逆襲」はずっと蓄積され
続けていてそろそろ爆発するんじゃないか、と。
汚染によって海産物が食べられないとかのレベルではなく…という意味で。

湾だからといってナメンナヨ!と聞こえてきそうです。
原発事故でその代償を福島県民に強いている東京湾岸民(首都圏民)、覚悟は出来ているかい?


そんなことを想像する事も出来ないくらい、平穏なピンクのバスが走る風景、とは?


※あくまでも個人的見解、感情、思想による“日記”です



2012-02-17

日曜日の朝の記憶



子供の頃、広告チラシの裏とかに絵を描いたりしていたことはないでしょうか?

サラリーマンの父を持つボクは日曜日の朝に、新聞(サンデー版的な物)に載っている「間違い探し」
や「迷路」などを、父も含めた家族みんなで楽しんでいた事が記憶に残っています。
その一連の楽しい時間の中でも、チラシの裏に絵を描くのがとても大好きでした。

いまでもよく覚えていますが、ボクはそこによく当時思った「未来の街」の絵を描いていました。

たぶん、ビルと高速道路と車とという感じのごく普通に想像できる未来予想図
だったと思うのですが、記憶をたどってみると、そのときに描いていたような
街ってもう今となっては過去に思える程のものになっているようです。

こういう住宅街っておそらくはテレビや絵本の世界だったと思います。

今、自転車通勤でここを通り過ぎるとき、ただ車が来ないか確認をするだけの為に振り向いていた自分に
あえてもう一度トキメキを与えてみました。


その類いで見過ごしているたくさんの風景にもっともっと出会いにいかなくちゃ。












2012-02-15

パリの凱旋門をイメージしながらスカイツリーが今後及ぼす町への影響について考えてみる



もうすぐ懐かしい風景になりそうな雰囲気を醸し出してます。
でも、お寺も見えているのでたぶんある意味「鉄板」地域かもしれません。

よく、大きな寺院などがあるところでは門前町のように境内外に
宿屋や商店が建ち並んで魅力的な町並みを形成しています。
性質は違うのでしょうが、寺内町も面としてとても奇麗に町が形成されます。

良い意味で「雑多感」がある町並みこそが現代ニッポンの象徴。

どこの町に行ってもTSUTAYAやユニクロが目に入りなんとなく安心する。
それこそ、旧街道で茶屋を発見するような感じとも共通するような
感覚だったりして。

まぁ、よくわかりません。

大震災の経験とスカイツリーOPENを控えてこんなことも考えます。


スカイツリーこそが最も新しい形の「門前町」を作り出してくれる
21世紀初の最も期待できる建造物なんじゃないか、と。




2012-02-08

ただそこに佇んでいること




港区某所。

うーん、素晴らしい。
単体だけど、これはある意味「面保存」と言えそうです。
この日当りも含め、悠久の時間を勝手に想像してしまいます。どんな住人かとても気になりますが、
このまま眺めてるのが一番良いのかもしれません。

これからまだまだただそこに佇んでいてほしい、そう強く願っている男がいる事をこの家は
知らないでしょうが、今日もボクが知らないところで誰かに愛されていた建物が消えている
現実に目を背けてばかりいられないことをボクも受け入れなきゃいけませんね。


それが一番難しい…

2012-02-03

腹を据える事一人前への第一歩、とどうして今頃口にする?



専門職の仕事に就いていなくても、一つの仕事をしているという事は
専門的にその分野に精通している「プロ」なんだと思います。

世の中には実に多くの自分にとっては専門外の仕事が存在し、
それを日々の生活で目にしたりしています。

例えば、鉄鋼やボルトや橋脚や都市計画などにまったく関係ない人も
それらの技術力や開発力に恩恵を受け知らないところで助けられているわけです。

そんなのあたりまえだ!

その通り。

それで世界はまわっている。言われるまでもないです。
皆知ってます。

ボクに金融や医療や農業のことなど聞かないでください。
でも、写真のことなら、なんとなく答えられるかも。


自分の仕事への誇り、大事だなぁ。






2012-01-31

奥深い「間」の世界をもっと知りたい、そう思う晴れた午後



ぼんやりと見ると正義の味方に見えます。
困ってるおばあちゃんを助けにいくような。
(バカにしているわけではありません)

それにしても、好きで気に入っている空間がなぜ響くのかが
自分でもなんとなくわかるような気がします。

すべてに共通している事、それは、

「間を感じる」

ということなんです。

理解しているようでまだまだ理解できていない、「間」について。
もっともっと勉強が必要なようです。


2012-01-30

今更「陰影」について考えてみる



光を感じられるって良いですね。

とっても平坦に物事が進んでいるとき、そこにある陰影にハッとさせられる
ことがよくあります。

ちょっと待てよ、と。本当にそれくらいの見え方だったのか?、と。

年を重ねるうちにボクたちは、「陰影」を日常の中から取り去ろうと
しているのではないだろうか、そんな事を考えてしまいます。
つまり、正の対局の考察を面倒くさがり、「なんだかんだでイーブンパー」で
良しとしているのでは、と。


肝に銘じたいのは、結果論イーブンパーでも良いけど、光も影もどちらも
ボクたちが放出したくてしょうがなかった探究心ではないのじゃないのかということ。


2012-01-14

free as a bird



遅ればせながら2012年もよろしくおねがいいたします。

写真でご飯を食べるようになって今年で12年。干支で一回り。
好きな事をやって生きられるのは本当に幸せです。

いままでボクに写真を教えてくれた先輩方、お客さま、いつもボクを
支えてくれている家族、仲間、すべての方に感謝の意を表したいと思います。


これからも良い写真を撮るべく、日々精進してまいります。


そして、今年は皆が天災などに遭わない平穏な暮らしが出来ますように。

2011-12-22

温故知新を考えるきっかけは人それぞれにある



これはもうセットの域ですよね。

ステキ過ぎます。

外で洗濯(乾燥)、外で入浴。

路地文化ニッポン万歳!

みなさん、当たり前の風景が当たり前なのはもうそんなに長くありません。
でも、新しい当たり前が当たり前になるのが当たり前なんですけどね。


「日々是人生」

2011-12-19

自分的癒し風景存続の黄色信号



最近、こういう旧型の信号機がどんどん発光ダイオードの信号機に変わっていっていますね。

発光ダイオードの信号機は、消費電力がおさえられたり、夕日が当たっても
見やすくなったりといろいろ良いところがあるそうですが、個人的には
やっぱり旧型のこの「箱」な感じが好きです。

安全性や環境に配慮し、時代が移り変わっていく事はとてもステキな事ですが、
この手の風景はボクにとっては最高の癒しになるのでなるべく長く見ていられたらなって思ったり
するわけです。


わがままで自分勝手な趣味でスミマセン…


2011-12-12

石油化学時代に生きている事を改めて考えてみる



まだまだ街で普通に見かける事ができる旧タイプのガソリンスタンド。
「火気厳禁」的な看板とか、缶やタンクに記されている文字なんかが
とってもレトロでかわいくて大好きです。
(実際あまり利用はしませんが)

石油化学時代の象徴的な建造物(風景)のひとつである
ガソリンスタンド。

かなり危険な物質が生活の身近にあることにそんなに違和感を覚えない
のはもしかしたらまだ大きいくくりの一時代は全然終わってないのかな
と思ったりします。
情報技術革新の進展は恐ろしい物がありますが。

いずれにせよ「争い事」を誘発する原因になり得ているのは
間違いなさそうな気がします。


そして、代償という言葉も今後頭から離れる事はないでしょう。

2011-12-06

心の話です



都心ではよく見る光景です。
ボクも買って食べた事ありますが、おいしいくて安いしかなり良いです。

でも、なんか気持ち悪いんです。なんだろう?

こういうところで買ったお弁当を会社に戻って食べるのってなんだかよくわからないけど
何かに反してる気がするんです。外に出たなら外で食べよ、と。
大げさに言うと、利益至上主義のような。

抽象的ですみません。

家があって、道があって、公園があって、川があって、働くところがあって、
街になって、
家族がいて、一日があって、人生があって。


ひとつのまとまりのなかでもそれぞれが「らしさ」を失わなければ良いんでしょうけど。
なーんか、バランスが悪い気がするなぁ。

でも一歩引いて考えてみると、実は自分自身の事かもって思ったりします。


写真(=撮り手の心情)は嘘をつかない…







2011-12-03

自分基準遺産を訪ねてみる



ずっと気になっていたところにやっと行けました。
品川と田町の間にある天井の低いトンネル。厳密にはトンネルではないそうですが。

ここすごいですね。
ボクは高浜側から第一京浜の方に向けて歩きましたが、とにかく低い。
たぶん170㎝ぐらいの高さなんでしょうけど、もっと低く感じます。

どういう経緯でコレが造られたのかは良く知りませんが、まず「コレで良し」として“開放”された
その時代を本当に愛おしく思います。

良いわけないですよ、実際。
まぁ、もともとの目的を良く知らないのでなんとも言えませんが。

それにしても自分は昔の人の基準に近いんだなぁとつくづく感じてしまいます。
ここを頭を屈めずに通れたわけですから。

どうやらこの地域に新しくトンネル(地下道?)を造る計画が
あるそうで、ここもそう長くは残らないのかもしれません。


気になってる方早めに行った方が良さそうですよ。








2011-11-09

だからこそ見つけられる楽しさが街には溢れているのだが



よく通る道の好きな風景。
山手線からもよく見えるのでけっこう見覚えがあると思います。

ところで最近、自転車のマナー違反や改造車が取り上げられ、ついに自転車は歩道を走れなくなるのでは
というところまできているようです。
歩行者の言い分もよくわかります。
でも、いまの日本の街の構造で全部の自転車が車道を走ってみてください。笑っちゃいますよ、きっと。
中国か!みたいな。

よく考えた方が良いです。

まず、あいかわらず歩行者が弱者、車両が強者みたいな捉え方をしている日本人の性質を。
信号のない横断歩道で歩行者が渡ろうとしているところを見つけて止まってあげられる車の運転手って
どれくらいいます?
皆が安全に快適に移動できる環境を作るのは国の仕事ですよね。
道路交通社会の教育をするのも国自体の責任だと思います。
せっかく思いやりがあって譲り合う事ができる国民なんだから。

車だって事故を起こしたくて起こしている訳ではもちろんありません。
危険な状況が街のそこら中に溢れているのが原因なんです。だって、ミラーがないと左右の状況が確認でき
ないような狭小圧迫空間がいっぱいあるんですよ。
この写真の場所はまだいいですが。


時代に適した道路、街、車(移動の道具)、そこに生きる人間。
それらを別々に考えて解決できる問題ではないとボクは思うんですが。



2011-10-28

軸とバランスについて考えてみる



今回からちょっとマイナーチェンジ。

このタイプ、最近よく目にしますね。ボクの子供の頃はこんな風に出かけたことなかったと思います。
あったけど忘れちゃっただけなのかなぁ。

いつも楽しそうにここを通るんですが、見ているボクもうれしくなります。


ところで、こないだまたここで火のついたタバコを捨てた“紳士”を見かけました。
下には鴨が泳いでいるのに。
大いなる偏見をするとすれば、「年寄りはみな隠蔽体質だ!」もしくは「環境破壊者だ!」
などと思ってしまいます。
まったくそんな事はないんですが。

でも自分だって正義だけじゃないはずなんです。
悪魔のささやきは誰のもとにも平等にやってくるはずです。


軸とバランス、奥が深いなぁ。




2011-10-11

正の遺産の定義について考えてみる



スマホで得られる情報よりはるかに人間的で刺激的で優しい
「視界」というのがまちがいなく存在している、
そう思う今日この頃です。

「肉眼」の感覚に頼る、信じる、それこそが人間のような気が
しますが?

変化は普通の事です。
良い悪いの話をしているわけではありません。

自分の中の“stay foolish”の位置づけを確認しただけなんです。