2012-09-04

言葉につまる風景に出会える幸せについて考えてみる





これはちょっと言葉が出ませんでした。
そうとうな深みにハマった感じです。

ここはまさに、最近ボクの中で固定化しつつある、「自分基準世界遺産」
の文化遺産部門に楽勝で登録ではないでしょうか?


よけいな言葉は必要ないようです。


ここのところ疎かにしている「世界遺産」の調査を再開しなければ…

2012-09-03

「情報社会」も死語になりつつあるこの情報社会をどう生きるかを無情報の中考えてみたいと思う昨今





またまたご無沙汰してしまいました。

理由は…、夏バテ?
最近、熱中症がメジャー化しすぎて夏バテという言葉を
あまり見聞きしなくなりましたね。それはさておき、本当の理由はやはり「ネット疲れ」
なんですかねぇ。

どうなんですか?みなさんは。
この便利な社会に慣れすぎて様々なことが当たり前になっていると思いますが、
どこまで信用できますか?そんな社会を、そんな自分を。

軽いもやもやサマーバケーション中にこんなステキな風景に出会いました。

確かじゃないですか?
とても確かじゃないですか?

難しい「言語」はどうでもいいです。こういうトキメキがほしいんです。
このトキメキなんです、実際に信用できるのは。

人によって基準は違うでしょう。


でも、「確かなモノ」を求める心は皆同じでは?









2012-06-30

よしんばそれが「自分に対しての訴え」だとしても?



けっこう久々の投稿です。
理由は特にないです。なんだかちょっと離れたかったのかもしれません。

しかしどうしたものかと思います。

今日は金曜日で(日付は変わりましたが)、首相官邸前では反原発デモが行われていました。
基本的にはボクも同意です。デモに参加しようかなとも思いました。
電気料金の値上げももちろん納得できる物ではありません。
その辺は皆同じ意見でしょう。

でも、ボクが感じているのは、「今だからこそ日本人だってちゃんと主張して国を変えて行こー!」
の一体感じゃぁないんですよね。そりゃそうなんですけど、でもちょっと違うんです。

電気が必要→電気を作る→事故が起きた(原発事故)
安く移動したい→ずさんな管理で運行→事故を起こした(バス事故)

問題はこの構図じゃないかと思うわけです。
この構図とはまさに「日本人そのもの」、すべてです。

原発再稼働が危険だというよりも、何事に置いても利便性を重視する生活そのもの
が危険なんじゃないかなと。

まぁ、そんなことはライフラインを使わずに生活できるヤツが言えって話でしょうけどね。
社会がそんなに単純じゃないことぐらいわかってます。

でも、もっともっと広く考えませんか?我、日本人。


そうです。
つまり、視野を広げ柔軟になれ、自分。




2012-05-16

東京タワーがいつか世界遺産になるかもしれないと勝手に想像してみる



最近、東京タワーを愛おしく感じる人って結構増えている
のではないでしょうか?

理由はいわずもがなですが、ボクが思うそれは、
このなんともレトロでかわいく以前より確実に小さく見える鉄塔が
役目を終えたどころか、これから真の意味での建造物としての価値を
どんどん高めていくんじゃないかというところです。

テレビやFMの送信などはどうでもよく、重要なのは成長し変わり続ける
東京の中で「変わらないもの」としてあり続けることだと思うんです。

日本の高度経済成長を見守った昭和の建造物だから周りにも昭和が
残っていてほしいところですが、もういいんですそういうのは。
どうせ変わっちゃうから東京は。
いつもいつも変わる街の風景の中で対比される存在であってくれれば。

それが今後何十年何百年と続いて行く事を心から願います。


なぜなら、21世紀に完成したスカイツリーにはそれだけは絶対に
抜けないことだから。






2012-05-04

やはり好きな物には偏りがあるはずだとふと考えてみる



小学校高学年の頃、図工の時間に校外へ出てスケッチする授業がとても好きでした。
ただ遠くから、いつもとちょっと違う角度から校舎を眺め描いているだけでなんだか
少し大人な気分になっていた記憶があります。
描いた線に、筆を選び絵の具をまっすぐに引いていく作業にどの科目のどの場面にも無い楽しさを
感じていたボクは根っからの図工好きだったんだと思います。

この写真をみて、いま小学校の課題で「街風景を描く」などとあったならばここを選んでるかも、
と思った次第です。
写真的には彩度をあげてますが、描いたとしたらおそらくこんな色づけをしたんじゃないかな、
あのころのボクは。


意外と子供の頃から色彩感覚や構図の感覚って変わってないのかも。

2012-04-09

自分的今昔総論



アメリカ社会でも若者の車離れが進んでいるとのことです。
その理由として、ネットの普及により他人と会う機会(必要)が減った
もあげられるんだとか。

さて、豊かな社会とはいったいどういうことを示すのでしょうか?

この写真の場所が輝いていた時代は、人々の間に「生きたお金」
が行き交うさぞかし明るい(と思われた)世の中だったんでしょうね。

そして、おそらく今よりもっと、人が人を感じることが出来たのでは
ないかと思います。
たとえその目的が、ただ飲み明かしたり女の子と一緒にいる
だけであっても。

サザエさんを観ていたらあらためてあることを認識しました。

こんなに時代が変わったのに、物語に携帯やPCが出てくる事は
まずないなぁと。

サザエさんは不変。
そんなの当たり前なんですけど、それに癒され相変わらず視聴率が高く
日本国民の支持を得ているその現実に、どうしても現代人の憂いを
感じてしまうのはボクだけではないと思います。


近い将来、サザエさんは豊かな時代を象徴する「日本昔話」の域に
達するのでは。






2012-03-26

だから写真を撮る自分がいるのだと前向きに考えられる由々しき問題



風景(自然ではなく人工物含む街)を楽しむときに、こんな遊びをします。
それは、こいつらはボクが死んだ後も存在しているのか否か。
人生まだ40年程度しか経過してませんので、
たいそうな事は言えませんが、皆が思っているようにボクも思うわけです。

「なんでこんなに世の中の移り変わりは速いんだろう」と。

ここを通ったどれだけ多くの人がこの世を去っているのだろうか。
また、これから誕生してきてここを通り過ぎる人がどれだけいるのだろうか。
たぶんここにはここの独特な時間が流れているのでしょう。
この風景にはそんなおおらかさを感じるわけです。

なかなかうまく表現しづらいですが例えると、ETC割引の早見表みたいな感じ?

自分がいまどこにいてどこに属しどこに適用され、のような。
つまり今まで何に出会いこれから何に出会えるのか、と。
わかりやすい歴史的建造物とかはいいんです。わかりやすいロマンがあるので。

ボクが言いたいのは、普通の事象に関わる自分について。


この問題、非常に説明しづらいです。





2012-03-11

3.11



今日もいつもと同じ麗しき日。

生きてる事にありがとう。

どこかでだれかが笑っていればそれで良いじゃないか。

厳しい現実があるからこそ、そう思わないとやってられない。

未来へ向けて、ちょっとだけでも前に進まなきゃ。

2012-03-06

なぜここに訪れたいかをもう一度考えてみた



上野松坂屋の屋上遊園地。

21世紀になり急激に姿を消しつつある、偉大なる昭和の遺産のひとつです。
ここのところメディア等でささやかな脚光を浴びているので、気になって遊びにくる方は
結構増えているんじゃないかと思います。

それにしてもショッピングや娯楽のあり方がずいぶんと様変わりしましたよね。
ボクより年配の方はもっとそう感じると思いますが。

この衰退する百貨店やシャッター商店街など言わずと知れた現代社会で浮き彫りに
なっている問題は、人々のライフスタイルが大きく変わってきていることの映し鏡であること
ぐらいだれでも想像はつくわけですが、ショッピングといえば百貨店、映画といえば映画館、
のようなわかりやすい思考、選択、行動で喜びを得ていた時代の方がいまより
豊かだったのかもしれないと考えてしまう事もあります。

その「ライフスタイル」が個人主義の要素が強くなり、車社会はますます進展し、
複合している事を当たり前のものと考え、専門的な人(商人など)をあまり必要と
しなくなってきているおかげで、どこにいってもたいして代わり映えのしない郊外の大型
ショッピングセンターを増殖させ、シネコンをつくり、併設もしくは隣接する電器屋や
ホームセンターなどがさらに便乗し、便利でありがたいけどとってもつまらない「街」を
つくってしまっているのではないでしょうか。

もちろん大規模小売店舗法のあり方が大きく関わっているのは
わかりますし、人々が求めている方向の結果であることはよく
理解しているつもりですが、それにしても寂しさを感じてしまいます。

まぁ、かくいうボクも都市に暮らしなにひとつ地域活動をしている
わけではありませんし、実際いまの業態の利用者なので偉そうな事は言えませんが…


だからこそ、せめて「旧き良き時代」の写真をたくさん残しボクなりの共有、協力ができればな
と思っている次第です。


















2012-02-27

そっと営み主張する彼らに気づいてあげなきゃと思う39歳1週間



もともと平面空間を撮るのが好きなのを自覚はしてますが、
このような「間の抜けた」感じの空間がやっぱり好きだなぁって
あらためて思います。

ビルの窓に反射した光があってこそのコレであることは間違いないですが、パイロンたちの
ささやかな主張が心地よくボクに訴えかけてきます。


2節同じような書き方をしましたが、
つまりは、

「そっと営まれている事象を放ってはおけない」

いう事なんだと思います。

そのときにカメラを持っていたことをキセキとせず、普段見過ごしている愛おしい
「営み」に気づいてあげなきゃと急に焦りだすおじさんも先週39歳になりました。


有限事項(有言実行)、心得ないと。









2012-02-23

ピンクのバスが走る風景



旧海岸通りや元なぎさ通りなど、昔の海岸線から埋め立てなどにより海岸線が外へ伸びた
都市部などでよく見る地名があります。
それらはもともとの海岸線はココだったんだよという由来があるわけですが、都市の発達とともに、
漁港や養殖場だったところが埠頭や空港、石油コンビナートなどにかわり、さらなる利便性や発展に
役立っているわけです。

3.11の震災による東北地方の海岸付近の様変わりは、皆が映像などで目にしていると思います。

都市に住んでいると忘れがちですが、海に囲まれた日本のほとんどの海岸ではその「海の幸」によって
生活を守られている事実があります。
それは太古の昔から変わらないであろう、日本人が受ける恵みなんだと思います。
その恵みを与えてくれていた海に、今回は相当な厳しさをもらったわけです。

街の復興策として、市街地を高台に移すことも考えられていると思います。
何十年後かに完全に「低い土地」から人々の生活の営み(漁場を除く)がなくなったときにそこは、
「市街地跡地」とされてしまうのでしょうか?
それともまた正々堂々と立ち向かっていくのでしょうか?

そして、あらためて考えてしまう事は、都市部の海岸線での「自然の逆襲」はずっと蓄積され
続けていてそろそろ爆発するんじゃないか、と。
汚染によって海産物が食べられないとかのレベルではなく…という意味で。

湾だからといってナメンナヨ!と聞こえてきそうです。
原発事故でその代償を福島県民に強いている東京湾岸民(首都圏民)、覚悟は出来ているかい?


そんなことを想像する事も出来ないくらい、平穏なピンクのバスが走る風景、とは?


※あくまでも個人的見解、感情、思想による“日記”です



2012-02-17

日曜日の朝の記憶



子供の頃、広告チラシの裏とかに絵を描いたりしていたことはないでしょうか?

サラリーマンの父を持つボクは日曜日の朝に、新聞(サンデー版的な物)に載っている「間違い探し」
や「迷路」などを、父も含めた家族みんなで楽しんでいた事が記憶に残っています。
その一連の楽しい時間の中でも、チラシの裏に絵を描くのがとても大好きでした。

いまでもよく覚えていますが、ボクはそこによく当時思った「未来の街」の絵を描いていました。

たぶん、ビルと高速道路と車とという感じのごく普通に想像できる未来予想図
だったと思うのですが、記憶をたどってみると、そのときに描いていたような
街ってもう今となっては過去に思える程のものになっているようです。

こういう住宅街っておそらくはテレビや絵本の世界だったと思います。

今、自転車通勤でここを通り過ぎるとき、ただ車が来ないか確認をするだけの為に振り向いていた自分に
あえてもう一度トキメキを与えてみました。


その類いで見過ごしているたくさんの風景にもっともっと出会いにいかなくちゃ。












2012-02-15

パリの凱旋門をイメージしながらスカイツリーが今後及ぼす町への影響について考えてみる



もうすぐ懐かしい風景になりそうな雰囲気を醸し出してます。
でも、お寺も見えているのでたぶんある意味「鉄板」地域かもしれません。

よく、大きな寺院などがあるところでは門前町のように境内外に
宿屋や商店が建ち並んで魅力的な町並みを形成しています。
性質は違うのでしょうが、寺内町も面としてとても奇麗に町が形成されます。

良い意味で「雑多感」がある町並みこそが現代ニッポンの象徴。

どこの町に行ってもTSUTAYAやユニクロが目に入りなんとなく安心する。
それこそ、旧街道で茶屋を発見するような感じとも共通するような
感覚だったりして。

まぁ、よくわかりません。

大震災の経験とスカイツリーOPENを控えてこんなことも考えます。


スカイツリーこそが最も新しい形の「門前町」を作り出してくれる
21世紀初の最も期待できる建造物なんじゃないか、と。




2012-02-08

ただそこに佇んでいること




港区某所。

うーん、素晴らしい。
単体だけど、これはある意味「面保存」と言えそうです。
この日当りも含め、悠久の時間を勝手に想像してしまいます。どんな住人かとても気になりますが、
このまま眺めてるのが一番良いのかもしれません。

これからまだまだただそこに佇んでいてほしい、そう強く願っている男がいる事をこの家は
知らないでしょうが、今日もボクが知らないところで誰かに愛されていた建物が消えている
現実に目を背けてばかりいられないことをボクも受け入れなきゃいけませんね。


それが一番難しい…

2012-02-03

腹を据える事一人前への第一歩、とどうして今頃口にする?



専門職の仕事に就いていなくても、一つの仕事をしているという事は
専門的にその分野に精通している「プロ」なんだと思います。

世の中には実に多くの自分にとっては専門外の仕事が存在し、
それを日々の生活で目にしたりしています。

例えば、鉄鋼やボルトや橋脚や都市計画などにまったく関係ない人も
それらの技術力や開発力に恩恵を受け知らないところで助けられているわけです。

そんなのあたりまえだ!

その通り。

それで世界はまわっている。言われるまでもないです。
皆知ってます。

ボクに金融や医療や農業のことなど聞かないでください。
でも、写真のことなら、なんとなく答えられるかも。


自分の仕事への誇り、大事だなぁ。






2012-01-31

奥深い「間」の世界をもっと知りたい、そう思う晴れた午後



ぼんやりと見ると正義の味方に見えます。
困ってるおばあちゃんを助けにいくような。
(バカにしているわけではありません)

それにしても、好きで気に入っている空間がなぜ響くのかが
自分でもなんとなくわかるような気がします。

すべてに共通している事、それは、

「間を感じる」

ということなんです。

理解しているようでまだまだ理解できていない、「間」について。
もっともっと勉強が必要なようです。


2012-01-30

今更「陰影」について考えてみる



光を感じられるって良いですね。

とっても平坦に物事が進んでいるとき、そこにある陰影にハッとさせられる
ことがよくあります。

ちょっと待てよ、と。本当にそれくらいの見え方だったのか?、と。

年を重ねるうちにボクたちは、「陰影」を日常の中から取り去ろうと
しているのではないだろうか、そんな事を考えてしまいます。
つまり、正の対局の考察を面倒くさがり、「なんだかんだでイーブンパー」で
良しとしているのでは、と。


肝に銘じたいのは、結果論イーブンパーでも良いけど、光も影もどちらも
ボクたちが放出したくてしょうがなかった探究心ではないのじゃないのかということ。


2012-01-14

free as a bird



遅ればせながら2012年もよろしくおねがいいたします。

写真でご飯を食べるようになって今年で12年。干支で一回り。
好きな事をやって生きられるのは本当に幸せです。

いままでボクに写真を教えてくれた先輩方、お客さま、いつもボクを
支えてくれている家族、仲間、すべての方に感謝の意を表したいと思います。


これからも良い写真を撮るべく、日々精進してまいります。


そして、今年は皆が天災などに遭わない平穏な暮らしが出来ますように。