2012-03-26

だから写真を撮る自分がいるのだと前向きに考えられる由々しき問題



風景(自然ではなく人工物含む街)を楽しむときに、こんな遊びをします。
それは、こいつらはボクが死んだ後も存在しているのか否か。
人生まだ40年程度しか経過してませんので、
たいそうな事は言えませんが、皆が思っているようにボクも思うわけです。

「なんでこんなに世の中の移り変わりは速いんだろう」と。

ここを通ったどれだけ多くの人がこの世を去っているのだろうか。
また、これから誕生してきてここを通り過ぎる人がどれだけいるのだろうか。
たぶんここにはここの独特な時間が流れているのでしょう。
この風景にはそんなおおらかさを感じるわけです。

なかなかうまく表現しづらいですが例えると、ETC割引の早見表みたいな感じ?

自分がいまどこにいてどこに属しどこに適用され、のような。
つまり今まで何に出会いこれから何に出会えるのか、と。
わかりやすい歴史的建造物とかはいいんです。わかりやすいロマンがあるので。

ボクが言いたいのは、普通の事象に関わる自分について。


この問題、非常に説明しづらいです。





2012-03-11

3.11



今日もいつもと同じ麗しき日。

生きてる事にありがとう。

どこかでだれかが笑っていればそれで良いじゃないか。

厳しい現実があるからこそ、そう思わないとやってられない。

未来へ向けて、ちょっとだけでも前に進まなきゃ。

2012-03-06

なぜここに訪れたいかをもう一度考えてみた



上野松坂屋の屋上遊園地。

21世紀になり急激に姿を消しつつある、偉大なる昭和の遺産のひとつです。
ここのところメディア等でささやかな脚光を浴びているので、気になって遊びにくる方は
結構増えているんじゃないかと思います。

それにしてもショッピングや娯楽のあり方がずいぶんと様変わりしましたよね。
ボクより年配の方はもっとそう感じると思いますが。

この衰退する百貨店やシャッター商店街など言わずと知れた現代社会で浮き彫りに
なっている問題は、人々のライフスタイルが大きく変わってきていることの映し鏡であること
ぐらいだれでも想像はつくわけですが、ショッピングといえば百貨店、映画といえば映画館、
のようなわかりやすい思考、選択、行動で喜びを得ていた時代の方がいまより
豊かだったのかもしれないと考えてしまう事もあります。

その「ライフスタイル」が個人主義の要素が強くなり、車社会はますます進展し、
複合している事を当たり前のものと考え、専門的な人(商人など)をあまり必要と
しなくなってきているおかげで、どこにいってもたいして代わり映えのしない郊外の大型
ショッピングセンターを増殖させ、シネコンをつくり、併設もしくは隣接する電器屋や
ホームセンターなどがさらに便乗し、便利でありがたいけどとってもつまらない「街」を
つくってしまっているのではないでしょうか。

もちろん大規模小売店舗法のあり方が大きく関わっているのは
わかりますし、人々が求めている方向の結果であることはよく
理解しているつもりですが、それにしても寂しさを感じてしまいます。

まぁ、かくいうボクも都市に暮らしなにひとつ地域活動をしている
わけではありませんし、実際いまの業態の利用者なので偉そうな事は言えませんが…


だからこそ、せめて「旧き良き時代」の写真をたくさん残しボクなりの共有、協力ができればな
と思っている次第です。